布おむつ
実家に滞在中は、結局使う事がなかった布おむつ、帰って来て、やっと使える(=´∀`)
2週間、紙おむつを使ったら、布おむつがめんどくさくなるかと思ったけど、そうでもなかった。
ただ、寒くなったから、水が冷たい(*´ー`*)
(当たり前だけど、地味にこたえる)
雪が降っても、布おむつ使えるんかな??(ちょっと自信ない)
まあ、ほどほどに頑張ろ。
あんまり寝てくれてないから、洗うひまないっていう問題にぶつかり中。
今の時代は、自動洗濯機があるからいいね(*´꒳`*)
朝ドラの見すぎかな(笑)
今、リアルタイムで布おむつが出てくるから、すごい見てしまう。
(べっぴんさんよりも、再放送のごちそうさん、のほうが好き。)
2週間の滞在から帰って来て変わったのは、洗濯機を使うようになったこと。
前は時間もあったし、ほぼ手洗いしていた。
思ったのは、洗濯機はすごい汚れが落ちる!ってこと。
おむつだけ別洗い、とかもやめた。
ざっと手洗いしたら、あとはまとめて洗濯機にぽい。
洗剤も、赤ちゃん専用を使っていたけど、やめっ( ̄∀ ̄)
(うちの子はそんなに繊細じゃないので)
それだけで、布おむつがよりいっそう、楽しくなった。
成形おむつを使っていたけど、たまたまもらった輪おむつが、使いやすすぎて困る。
成形おむつ、高かったのに(^_^)
いろいろ試すって、大事だな。
子ども辞書「んち」
今日で2週間の滞在も終わる。
何もすることがなくて、懐かしい思い出を、辿ってばかりいた。
向こうにいても、ひまであることには変わりないけど(*´罒`*)
もしかしたら、会えるかもしれなかった、しょうちゃんにも会えなかった。
今度は正月にでも、行ってみようかな。
しょうちゃんちの2階の、陽当たりのいいゲーム部屋(しょうちゃんの年の離れたお兄ちゃんの部屋)、好きだった。
しょうちゃんよりも、あの部屋が、妙に懐かしい。
スーパーマリオコレクションとか、上海とか、よくしたなあ(๑´ㅂ`)
スーファミ時代、楽しかった。
今のゲームは、というか、今はゲームにはまれない。
そういえば、
「〇〇ちゃんち」って、いつからか言わなくなった。
「〇〇ちゃんち、行ってくる」(小学生くらい)
から
「 〇〇ちゃんの家(いえ)、行ってくる」(高校生以降?)
に、変わった。
私だけかな?
いや、でも、そこそこのいい大人に、普通の会話の中で「〇〇ちゃんち」とか言われたら、ニヤけるかも(*^_^*)
親しい人に使える言葉、とも言えるかな(私は)。
また、きょうちゃんち行こ⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝
懐かしい場所
「絵の展示があるから、行こう」
そう言われて、なんとなくついて行った場所は、子どもの頃よく行っていた映画館(文化センター)だった。
絵の展示よりも、懐かしい場所に行くことに、ちょっとわくわくした。
何もなければ通らない場所、というわけではない。
映画館周辺の建物も、ずいぶん変わっていたし、もうその風景に、馴染んでいた。
全てがガラッと変わったわけじゃない、古い建物と新しい建物が、うまい具合に共存している。
私の地元の、好きな場所のひとつでもあった。
文化センターの中に入って、その雰囲気や匂いに包まれて、一瞬、あの頃の自分に戻ったような、不思議な感覚におちいった。
地元の文化センターで映画を見ていたのは、小学生の頃だった。
(中学生になると、大きな映画館に行くようになる)
ここに、誰とよく来ていたんだっけ?
その記憶はぼんやりとしていて、ハッキリと思い出せなかった。
中学生の頃の友達や、高校生の頃の友達のことは、今でもよく覚えている。
小学生の頃の、友達関係の多さに驚かされる。
家が近所だとか、親が仲良しだとか、兄弟の友達だとか、男も女も関係なく、もう誰とでも遊んでいた。
だから、誰と来たのかは、なんとなく想像はつく。
でも、誰とでも来ていたわけではない気がする。
見ていた映画は、ウルトラマンとか、ゴジラとか、ドラえもんとか、ちびまる子ちゃん。
あの頃は、映画の途中で、飽きて帰ったりもした。
お母さんともよく行った。
お母さんは、いつも隣で寝ていた気がするけど、今なら、わかる気がする。
高校生になってからは、小学生の頃の友達と、全く会わない。
だから、小学生の頃の思い出話を、することがない。
そう思うと、今になって突然、会いたくなったりする。
忘れかけていた過去の思い出を、もうずいぶん開けていなかった引き出しから、取り出したくなっている自分がいた。
この道を、私は、子どもと歩くだろうか。
この場所に、私は、子どもと来るだろうか。
今、私の生活している場所はここじゃないから、来ないかもしれない。
もう来ないかもしれない、そう思った。
涙が出た。
子どもを生んで、4ヶ月、いろいろなことに気づかされる。
人生の、折り返し地点に立っているような、そんな気がした。
私が同居OKな理由
30代を過ぎると、友達の半数以上は結婚していた。
でも、誰も同居なんてしていなかった。
私の親も同居じゃない。
おばあちゃんは隣に住んでいた。
なので、同居ってどんな感じかわからないまま、結婚式後から同居は始まった。
結婚して2年、今のところ、同居は悪くない。
私は結婚しようと決めた瞬間に、相手もいないのに、同居する気だった。
そもそも、実家からちょっと離れた所(しかも田舎)に住みたい、という思いから結婚を決めた(相手もいないのに)。
それまで、結婚願望ゼロ。
つまり、他人と2人きりで住む、というのがちょっと怖かった。
たとえば、結婚後に暴力的になった、とか、そーゆうのを恐れていた(そんな友達がいるわけではない)。
喧嘩して、即離婚とかもイヤだしね。
そんな不安を全て解決してくれるのが、同居、ではないかと思っていた。
いろいろなめんどくささは、大丈夫な自信があった。
10年ブラック企業で元気に働いた経験、それが私の自信だった。
あと、自分を試してみたかった。
同居いけるかどうか、みたいな。
(この実験、危険すぎるけど)
20代前半で結婚していたら、たぶん、同居ムリ( ˘・ω・˘ )
里帰り出産をしなかったのも、20代じゃなかったから出来たこと。
お義母さんと義祖母は、なにやら確執があるっぽい。
義祖母は90歳超、そこそこ元気。
私としても、義祖母よりお義母さんの方が合う。
たぶん、たまたま、ほんとに運良く、いい人と結婚出来たんだなあということかな(*^_^*)
子どもにとっても、おじいちゃんおばあちゃんに囲まれて成長出来るっていいよね。
私には出来なかった経験、ちょっとだけ羨ましい気持ちで見守ります。
でも、まだ2年ちょい、これからかな。
思い出の道
産後4ヶ月、高速1時間弱の距離、やっと実家に帰れた。
私の運転は心配らしく、送り迎えしてもらうから、自由に使える車はない。
2週間の滞在。
家族は当然仕事に行くから、ものすごくひま( ´•ω•` )
歩いてうろついてみた。
懐かしい小学校の通学路、たぶん、中学生の時以来通ってない。
小学生には広く感じた狭い通路、周りには新しい家が所狭しと立ち並ぶ。
ザリガニをつかまえた場所も、桃の木があった場所も、もうない。
当時の思い出が残っているのは、今にも崩れ落ちそうな借家。
(あの頃そこに住んでいた人がまだいるらしい。)
狭い通路の左に借家、右に見上げるように新しい団地が建ち並んでいる。
この借家もいずれなくなり、新しい家が建つんだろうな、と思った。
狭い通路を抜けたら、当時一緒に遊んだ友達の家がある。
変わってない。
台所から音が聞こえて来た。
「こんにちは、お久しぶりです。」
あの頃の感じで訪ねてみる。
(小学生の頃は「しょーうちゃん、あーそーぼっ」だったな)
おじさんが出てきた。
見たら突然思い出して懐かしくなる。
(おじさん、変わってない⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝)
10年以上会ってないから旧姓を名乗ってみると、すぐに思い出してくれた。
おばさん登場。
さらに、懐かしい。
(おばさんも、変わってない( ˶ˆ꒳ˆ˵ ))
「おじゃまします。」
上がらせてもらう。
(部屋の中も変わってない。テレビがでかくなったくらいかな( ˙◊˙ ))
同級生情報をたくさん聞いて懐かしくなった。
意外なのは、みんなわりと結婚してなかったこと。
(しょうちゃんは結婚している。)
結婚してない時は、取り残された(みんな結婚してるんだろうな)感があったけど、してみるとそうでもなかった。
すべてが懐かしかった。
変わったこともあるけど、変わってないこともある。
当たり前のことに感動する。
( ˶˙࿁˙˵ )ᐝ
子どもの頃限定の思い出って、いいなあと思った。
あやふやな記憶や鮮明な記憶、何を正しく記憶しているか分からないのもまたいい。
20年経っても変わらないもの、ぼんやりとしっかりと残る思い出の場所を、自分の子どもにもさりげなく与えてあげたいと思った。